別府→狭間→熊本へ

8:00起床
先週炊いて姉が冷凍保存してくれてたご飯と、
先週母用に買った手をつけてないなめ茸と、
食べ残した自然解凍冷食のひじき、
牛蒡きんぴら、
蓮根きんぴらで朝ご飯。
(私はこういうご飯が好きだけど母は好きではないみたい)


姉と長いこと話して、
母と姉2人に熱く見送られて医大に出発。
(母と姉を連れてくと、医大のある狭間から別府に送り届けての熊本帰りは長距離移動になる為)


東別府に着いて別大国道に出る手前の信号待ちで気がついた!
携帯がない( ;´Д`)


たまたま近くに公衆電話があったので
(しかもダイヤル式!ビバ別府!!)、
実家にかけたらやっぱり置いてきてた( ̄O ̄;)
姉が父の車で、明星近くの明林まで持ってきてくれました。
鬱で体調が悪い姉に運転させてしまい自己嫌悪・・・



そしてやっと医大に到着


着いたらすぐにお昼ご飯。

まあまあの味付けだそうです。


7日の夜やこの日の朝から父は携帯に数回電話かけてきて、
歯磨き粉や、
支払いを気にして通帳を待って来る様に言ってきてました。
「生活費はいつまでの分を用意してたっけ?」
(年金・給料支給日に一日の生活費を設定してるので)
「お歳暮代をださなくちゃいけない。」
「倒れた翌日は、お母さんの抗がん剤の日だったんだけど•••」と、
本当意識しっかりしてて、
せん妄がなくなってて安心しました。


それで、ICUから出て始めて話した時の事を話しました。
魚がおってこわいとか、
お花は美しいとか言ってて、
私はこれはヤバイんじゃ?とか焦ったんよーって笑話で。


でも本人はしっかり覚えてて、
その時よりも詳しく話してくれた内容は、
カラスがいっぱいいたとか、
閻魔様みたいにのに、
この世?の恐ろしい光景をマイノリティリポートみたく見せられて、
とっても怖かったそうです。


ひょっとしたら、
いわゆる三途の川とか生死を彷徨った人達が話してる
そういうやつだったんかなーとか、
スタバの差し入れを2人で半分こしながら長いこと会話しました。

あと、
手術が終わったばかりの父の超耳元で、
姉が「お父さん!!!」と、
絶叫した話とかしたら、
切った胸の骨を痛そうにしながら悶絶笑いしてました( ^ω^ )


そうこうしてたら執刀医の先生が来ました。
先生から直接話を聞いて、
(いくつもの窮地をクリアしたので)
父と私は、改めてラッキーだった、
強運だったなあと感慨深かったです。
この先生がいてくれて本当に感謝してます。


そして質問しました。
新別府に移ってそこの先生じゃないと分からないだろうけど、
先生の推測では退院までにどの位の期間がかかると思いますか?って。


その答えは・・・
一週間くらいじゃないかなぁだって!(◎_◎;)


13日から一週間という事は19日には退院!?
かかっても翌週!?


年内には退院してお正月はお家で過ごせるんだねー(≧∇≦)
お父さんに、これでリハビリに精がでるなぁ!と
声をかけるとすっごく笑顔でした。


看護師さんに、姉と買った入れ歯装着材や、
日生の診断書も預けて医大を出て熊本へ出発。
でも竹田で力尽き・・・


竹田のコンビニで1時間も寝てしまって、
慌てて阿蘇や市内の渋滞を抜け、
自宅近くのスタンドに駆け込み車検に出しました。


店員さんの一言。
車検は23日までありすよーだって!


勘違いで無駄に焦った一日でした。